2013年10月23日水曜日

Qualitative Research

こんにちは。日本は台風がまた来ているようですね。しかも今度は2つ。みなさん大丈夫でしょうか。こちらは朝は氷点下近くまで冷えるようになってきました。

さて、最近統計学ばかりが気になる日々ですが、ほかの授業ももちろん受けています。
その中で、興味深い内容がありました。それが"Qualitative Research" 「質的研究」です。これに対応する言葉として、"Quantitive Research" 「量的研究」があります。

量的研究とは、定量的なアウトカム指標をもとに仮説を統計的に検証するもので、自分の分野(リハビリテーション科学)では発表される論文の多くが量的研究に属します。ここでは結果を一般化することを目的としているため、方法論ではよりバイアスを少なくすることに努力が注がれます。対象者の選択では、取り込み基準、除外基準は厳密に統制される必要があります。

たとえば、脳卒中患者の自宅での筋力増強の効果検証をする無作為化比較対象試験(RCT)を行うとします。取り込み基準に「60から80歳、脳卒中が初発、認知・言語機能が良好である」、除外基準に「循環器疾患のリスク大、ほかの神経疾患の合併がある」と設定したとします。そして、介入研究の結果、これらの脳卒中患者に対する筋力増強の高い効果が認められたとします。

EBM(Evidence Based Medicine)は今や当たり前のように聞かれるようになりましたが、その実践はなかなか難しいものです。研究者や教育者は、エビデンスをどんどん蓄え、また臨床家や学生にその利用を促してきました。しかし、実際にはエビデンスと臨床の現場には大きなギャップがあるのも事実です。臨床では、エビデンスを信頼しない人もいます。なんだかEBMがすごく押しつけがましくて、「義務」のように感じる臨床家も少なくないのではないでしょうか。この研究と臨床のギャップが生じた理由の一つには、量的研究で蓄えられた膨大なエビデンスが、必ずしも目の前の対象者には適応できないケースがあることが挙げられます。上の例でいえば、認知症を合併した脳卒中患者には適応できるのか?という疑問が生じます。また、可能な限りバイアスを排除しようとしても、やはりヒトを対象にした研究である限り、バイアスは残るため、結果に疑いの余地が残る場合がほとんどです。やはり上の例でいえば、自宅での練習をやってないにも関わらず、研究者に練習してないと言うのはなんとなく気まずいので自己申告では「やったよ」と報告をしているかもしれません。このようなバイアスを本当になくそうとするならば、対象者を監視すればいいでしょうか?それはヒトで行うには倫理的に問題が出ますし、マウスやサルを使えば、今度はヒトでないため別の問題が生じます。ヒトを対象にした研究はバイアスを減らそうとしても、やはりバイアスが残ります。これらの量的研究の限界が、現在のEBMの限界の一つとも解釈できます。では、あらゆるケースに対応した量的研究のデータを集めることは可能なのでしょうか。そのような知識の蓄積はもちろん、なされるべきだと思いますし、まだまだ足りないことだらけです。でも多分、ヒトというバイアスを補うデータを量的研究のみでそろえることは難しいのではないでしょうか。

質的研究は、その焦点がヒトの経験、プロセス、解釈など、個別性に富んだ点に当てられています。いわばバイアスそのものに焦点を当てています。たとえば、上記の例ならば、「自宅での筋力増強をどのように患者はとらえているのか」というリサーチクエスチョンになるかと思います。量的研究のアプローチならば、質問紙などを配って回答と年齢、既往歴や現病歴などとの関連性を見るかもしれません。一方、質的研究では、インタビューの録音やグループディスカッションなどを通して寄せられた参加者の「発言」や「作品」をそのまま結果として採用します。先ほどの自主トレをやらなかったにも関わらず虚偽の申告をした対象者の例では、量的研究では目を覆いたくなる事実ですが、質的研究ではヨダレの垂れる研究材料というわけです。もうバイアスだらけです。こりゃまるでアートです。まだ自分は、質的研究をどのように解釈していいのかという点で悩んでいます。一般化するにはあまりに個別的な内容だからです。ただ、このヒトが持つ独特のバイアスの背景に迫るのは、質的研究の強みなのかもしれません。下の絵は、研究者(製造者)が量的なデータを測ろうとしている一方で、臨床家・対象者(利用者)は自らの経験などの質的な側面を語りたがっており、エビデンスの製造者と利用者のミスマッチが見て取れます。





EBMを批判する人はもはやいないと思いますが、一方でEBMが十分に浸透していない現状の理由は「臨床家が論文を読めないから」だけではなくて、量的研究に基づくEBMは、もしかすると臨床家にとっては無機的で利用したくなるデータが少ないのかも・・・?量的研究と質的研究のこの強烈なコントラストのもと、お互いに持ち味を発揮すると、今後のEBMがさらに有機的で魅力的なものになるのかもしれません。

こちらにきて、改めて、科学って面白いなぁと気づかされました。。

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