2015年8月23日日曜日

新生活スタート

こんにちは。
約1か月の日本帰省の後、8月21日にモントリオールに戻ってきました。
これからは妻もモントリオールで一緒に住むことになり、今回日本を離れる時はこれまでとはまた違う心境でした。妻は日本で続けていた仕事を辞めてモントリオールに来ることになりました。またこれから適応するまで大変なこともあると思いますが、お互いに協力しながらやっていきたいと思います。

モントリオールに戻ってからは、家の掃除、買い物、携帯の購入などなどして忙しく過ごしました。
もっとのんびり過ごしたいのですが、妻も自分も、やりだすとつい根詰めてしまいます。

明日は平日ですが、まだ研究室には行かずに役場でできる手続き(在留届提出、口座開設、SIN取得など)を済ませてしまおうと思います。

今度の9月からは、週一で授業を受けて、週二でTeaching Assistantをさせてもらえることになりました。自分が担当するのは、プロフェッショナルマスター(PTのライセンス取得を目的とする修士課程)Neurological Rehabilitationの授業です。こちらの学生はかなり積極的なので、負けないように頑張りたいと思います。

Comprehensive examも終わり、自分のPhD課程も折り返しに差し掛かったくらいまできました。まだまだ先は長いですが、地道に頑張っていきたいと思います!!

2015年8月4日火曜日

Comprehensive Examの結果通知!!!!

合格です!!!!!!!!!!

ようやく結果が出ました。
これで晴れてPhD candidate (博士候補)になりました。
だいたい、修正を求められるケースが多いこの試験で一発合格できたのはすごく嬉しいですし、今後の励みになります。今後はComprehensive examで書いた論文を投稿できるようにブラシュアップしていこうと思います。


あー、よかった。。。
ようやく心おきなく夏休みを楽しめます。

Budapestー神戸ー神奈川の旅②

こんにちは。

実家にいると時間はあるのですが、意外と運動しないので今日は家から車で30分くらいのところにあるスポーツセンターのジムで体を動かしてきました。

平日の昼間なので大して混んでいないだろうと予想していましたが、ジムの中は60~70歳代と思われる男女でいっぱいでした。今のご時世、健康に対する意識というのはずいぶん高まっているんだと感じました。


さて、ブダペストから日本についたのが7月26日で、翌日は神奈川の実家で休憩し、その後28日から神戸へ日本神経科学学会に参加してきました。今回学会で使用しているポスターは常に一緒なので、文字通りポスターとともに世界一周しています。

日本国内の学会では理学療法学会以外に参加するのは初めてでしたので、楽しみにしていました。神戸の街並みは横浜に少し似ていますが、個人的には横浜よりもごちゃごちゃしていなくて良いと感じました。また六甲山が常に見えるのがまたいいですね。

六甲山を背に神戸の港がある町並みは、なんとなくMont-Royalがありセントローレンス川があるモントリオールにも似ているかもしれません。


学会は主にimagingやmolecularの研究が主で、自分のように運動解析を中心としたbehavioralな研究は少なかったです。ただ、運動制御の分野は主にATR(脳情報解析研究所)を中心にしたグループがcomputationに基づいた運動制御研究を盛んに行っていて、とても参考になりました。


また自分の指導教員らのグループが提唱する運動制御理論を否定する論文を執筆した日本人の先生にも直接会うことができました。学会に参加する前は自分の研究内容も全否定されることを覚悟で行ったのですが、とてもオープンなディスカッションができて大変勉強になりました。


日本の神経科学の分野も、ずいぶん多様で驚きました。理学療法学会で語られる神経科学というのはずいぶん狭い範疇であって、実は神経科学の一部分でしかないということを再認識しました。理学療法は応用科学に分類されるので、やはり基礎学問領域の学会に参加するのは大事なことのようです。


3日間の学会もようやく終わり、その後京都を3日間観光した後、昨日ようやくまた神奈川に帰ってきました。これからしばらくゆっくりしたいと思います。

2015年8月3日月曜日

Budapestー神戸ー神奈川の旅①

こんにちは。だいぶご無沙汰しています。
7月20日にモントリオールを出発して、7月22日からはハンガリーはブダペストにてProgress in Motor Control Xという学会に参加してきました。


モントリオール→トロント→イスタンブール→ブダペスト
という旅程でした。途中経由地のイスタンブールで携帯を機内に忘れ、落し物カウンターに行ったところまだ届いていないとのこと。乗り継ぎの便の出発時間が迫っていたため、少々の不安を抱えつつもとりあえずブダペストへ発つ。


ブダペストは他のヨーロッパの国と比べて、どこか雰囲気が違います。。まず、ユーロ圏にも関わらずレストランや地元のスーパーでは地元通貨、フォーレンしか使えない場所が多いです。

そして物価がとにかく安いです。1000円も払えばだいぶ上等なご飯が食べられます。ビールだって大ジョッキが100円くらいでした。しかし、輸入品はずいぶんと高く、クロックス1足が8000円くらいしました。おそらく現地通貨がかなり弱いのでしょう。


そして、見た目からしてよそ者で旅行者のアジア人である自分を見るとすぐに、色々な種類の客引き、つり銭のごまかし、などなど、すごい勢いで遭遇しました。しかし、概ね、身の危険を感じることはありませんでしたので、あくまでしっかりと断ったり確認することを気を付けていれば、十分楽しめる街といえるかもしれません。



第二次大戦でナチスドイツの支配下となり街が破壊され尽くされた後、ソ連の共産主義の支配が長年にわたって続いたため、経済的な発展はずいぶんと遅れているようです。


今年の夏はどこも暑いようで、ブダペストも連日40℃近くまで気温が上がりました。ホテルではエアコンをMAXにつけているようですが、普段使わないためか、あまり冷却効果がなくずいぶん寝苦しい思いをしました。

 
 
寝苦しい夜は研究室の友達や学会で会った研究者たちと安いビールを飲んでしのぎました。ドナウ川沿いの夜景は酒の酔いも混じってか幻想的でした。

 
 
この学会では最優秀ポスター賞を受賞してしまいました。国際学会で初めて賞をいただいたので、素直に嬉しかったです。
 
また、受賞以上に収穫があったのは、意外にも日本からの発表者が多く、発表された日本人研究者の方とずいぶん知り合えたことです。日本のニューロリハの最前線で仕事をされている先生ともじっくりディスカッションができて良かったです。
 
自分の研究テーマや今の経験が見当外れではないんだと、ずいぶん励まされました。
 
 
さて、ブダペストから日本へ帰る際には、
ブダペスト→イスタンブール→成田
 
という旅程でした。行きの飛行機でイスタンブールに忘れた携帯を受け取りにいったところ、「国内線の落し物カウンターにいってください」とのこと。
 
もうこの時点で期待はなくなりました。
 
国内線カウンターにいったところ、「携帯はとどいていません」とのこと。
 
 
まあ、もうなんでもいいや。このあきらめの良さはモントリオール生活でだいぶ鍛えられました。
 
 
その後、気づいたら乗継便の出発まであと40分しかなかったため、空港をダッシュしてなんとか成田行きの便に滑り込みました。深夜の便で空港が空いてなかったら間に合わなかったかもしれません。
 
とにかくこうして、結果的にはほんの少しのトラブルと、大きな収穫があったモントリオール-ブダペストの旅でした。