2014年10月26日日曜日

ワード書式設定

こんにちは。

教授たちは、概して一年中忙しいものです。
何人もの学生のプロジェクトを束ね、学生の書いたさまざまな書類に目を通し、修正したりコメントしたりしています。

ほんのささいなことと思うかもしれませんが、行間の設定や余白、用紙のサイズなども鋭く指摘してきます。
先日初めて知ったのですが、英語(アメリカ)、英語(カナダ)では少なくとも、既定の用紙サイズはLetterであり、行間の設定も日本語とは異なります。日本語では規定値はA4で、そのまま英語で文章を打ち込むと行間はダブルスペースになってしまいます。
なんと今まで1年間気づかずに学生生活を送ってきました。

自分の教授はOfficeのワードをつかっています。日本語の設定のままではコメント欄もなぜかダブルスペースとなってしまい、「コメントがすぐにいっぱいになってしまう」と教授がイライラ。

たしかに、友人のレポートと比べてずいぶん行間が広いなという印象を持つことは多々あったのですが、あまり気にせず放っておいたら、今回、教授に指摘されました。文字数指定の場合はあまり関係ありませんが、枚数指定の書類作成の時には、ダブルスペースでは書ける内容が半分です。このまま気づかずにいたら、いつか大事な書類できっと大変な目に合っていたでしょう。。


結果としては、ワードの規定の言語を英語(カナダ)にするだけですべて解決しました。
おや?と思ったらすぐ調べることが大事だとよくよくわかりました。



日本はまだまだ暖かいでしょうか。
こちらはこの2週間くらいでぐっと秋が深まり、紅葉も終わり、だいたい樹も葉を落としてしまいました。Mont-Royalの地面は落ち葉で黄色い絨毯のようになっています。




Mont-Royalタイムトライアルも、雪が降るまでは続けたいと思います。。

2014年10月9日木曜日

アジア1の英語教育

こんにちは。興味深い記事がありました。

「学校で英語を勉強しても使いこなせるようにならないと批判されてきた日本の英語教育。文部科学省の専門家会議は、小学校3年生から英語教育を始めるなどしてアジアトップの英語力をめざすとする提言をまとめました。」
NHK 時論公論(http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/200609.html)

「アジアトップ」とはいいますが、簡単にはいかないと思います。
どこまでのアジアをさしているのでしょうか。

以下、Wikipediaより
・東アジア:日本、韓国、中国、北朝鮮、台湾、モンゴル
・東南アジア:インドネシア、カンボジア、シンガポール、タイ、フィリピン、ブルネイ、ベトナム、マレーシア、ミャンマー、ラオス、東ティモール
・中央アジア:ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン
・インド、スリランカ、ネパール、パキスタン、バングラデシュ、ブータン、モルディブ、アフガニスタン
・北アジア:ロシア
・西アジア:アラブ首長国連邦、バーレーン、イラク、イスラエル、ヨルダン、クウェート、レバノン、オマーン、パレスチナ、カタール、サウジアラビア、シリア、イエメン、トルコ、キプロス

・・・アジア広し。

カナダの大学には様々なアジアの国からやってくる学生がいます。
自分がこれまで接する機会がありとくに英語を思うままにつかえていると思うのは、シンガポール、フィリピン、インドから来た留学生たちです。

これらの国出身の学生に共通するのは、大学での教育は英語で行われていたということです。
つまり、英語の試験のための勉強ではなく、英語以外の科目も英語で授業を受け、アサイメントを提出し、試験を受け、プレゼンをしてきたのです。

英語教育の目的は、英語試験のスコアがアジアトップになることではなく、学生が社会に出たときに海外の人たちと経済的に、文化的に対等に交流できることなのではないでしょうか。

本当に英語を「使いこなす」能力をつけたいのであれば、英語教育を独立して考えるのではなく、教育全体で取り組む必要があると思います。

ただし、課題は多いと思います。

1.英語で授業をするだけの語学力がある教育者の数が足りない
これは根本的にまずい状況ですが、事実だと思います。この課題については、いまの先生たちが頑張るしかないと思います。先生は頭のいい人がなるのではなくて、教えるということを通して自らが学び、結果的に学習が進んでいる、ということを聞いたことがあります。先生は常に学習の資質のある人たちがなる職業ではないでしょうか。すえに専門分野の知識に秀でている先生であれば、専門用語を覚えるのもそれほど大変ではないのでは。先生の資質の限界で学生の学習機会が限られるというのは残念ですし、すべての教育者がそれを望んでいるわけではないのでしょうか。

2.英語を将来使う必要性を感じない、というか本当に必要ない人もいる
これは選択の問題だと思います。多様な生き方があっていいと思いますので、無理に英語での教育を日本人全員が受ける必要はないと思います。したがって、義務教育レベルでは、英語の授業はこれまでと同じようでいいのではないでしょうか。ただし、英語だけではなく、海外の人との文化的な交流の機会を提供することは義務教育の段階でも重要だと思います。いざ選択する際に、判断材料をしっかり持ち合わせていないと、フェアではないと思います。

3.国語教育をさしおいて英語での教育を行っていいのか
英語の語学力と日本語の語学力は拮抗するような関係ではないと思います。つまり、どちらか一方が高いとどちらかが犠牲になる・・というものではないと思います。言語学については知りませんが、バイリンガルの方と話しても、片一方が流暢になったからもう一方の言語を忘れるということはないと聞きます。言語は使用依存的できでしょうから、片一方の言語を「使わない」せいで忘れることはあるでしょう。ただ、日本に住んでいる限り、日本語を「使わない」という状況は考えにくいです。しっかりした日本語を日常的に使う機会があれば、日本語が稚拙なレベルになってしまうということはまずないと思います。


アジアトップレベルの英語をめざすこと自体はとてもいい取り組みだと思います。
皆が知恵を出し合って、色々な選択肢があり多様性のある社会にできるといいですね。