2014年10月9日木曜日

アジア1の英語教育

こんにちは。興味深い記事がありました。

「学校で英語を勉強しても使いこなせるようにならないと批判されてきた日本の英語教育。文部科学省の専門家会議は、小学校3年生から英語教育を始めるなどしてアジアトップの英語力をめざすとする提言をまとめました。」
NHK 時論公論(http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/200609.html)

「アジアトップ」とはいいますが、簡単にはいかないと思います。
どこまでのアジアをさしているのでしょうか。

以下、Wikipediaより
・東アジア:日本、韓国、中国、北朝鮮、台湾、モンゴル
・東南アジア:インドネシア、カンボジア、シンガポール、タイ、フィリピン、ブルネイ、ベトナム、マレーシア、ミャンマー、ラオス、東ティモール
・中央アジア:ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン
・インド、スリランカ、ネパール、パキスタン、バングラデシュ、ブータン、モルディブ、アフガニスタン
・北アジア:ロシア
・西アジア:アラブ首長国連邦、バーレーン、イラク、イスラエル、ヨルダン、クウェート、レバノン、オマーン、パレスチナ、カタール、サウジアラビア、シリア、イエメン、トルコ、キプロス

・・・アジア広し。

カナダの大学には様々なアジアの国からやってくる学生がいます。
自分がこれまで接する機会がありとくに英語を思うままにつかえていると思うのは、シンガポール、フィリピン、インドから来た留学生たちです。

これらの国出身の学生に共通するのは、大学での教育は英語で行われていたということです。
つまり、英語の試験のための勉強ではなく、英語以外の科目も英語で授業を受け、アサイメントを提出し、試験を受け、プレゼンをしてきたのです。

英語教育の目的は、英語試験のスコアがアジアトップになることではなく、学生が社会に出たときに海外の人たちと経済的に、文化的に対等に交流できることなのではないでしょうか。

本当に英語を「使いこなす」能力をつけたいのであれば、英語教育を独立して考えるのではなく、教育全体で取り組む必要があると思います。

ただし、課題は多いと思います。

1.英語で授業をするだけの語学力がある教育者の数が足りない
これは根本的にまずい状況ですが、事実だと思います。この課題については、いまの先生たちが頑張るしかないと思います。先生は頭のいい人がなるのではなくて、教えるということを通して自らが学び、結果的に学習が進んでいる、ということを聞いたことがあります。先生は常に学習の資質のある人たちがなる職業ではないでしょうか。すえに専門分野の知識に秀でている先生であれば、専門用語を覚えるのもそれほど大変ではないのでは。先生の資質の限界で学生の学習機会が限られるというのは残念ですし、すべての教育者がそれを望んでいるわけではないのでしょうか。

2.英語を将来使う必要性を感じない、というか本当に必要ない人もいる
これは選択の問題だと思います。多様な生き方があっていいと思いますので、無理に英語での教育を日本人全員が受ける必要はないと思います。したがって、義務教育レベルでは、英語の授業はこれまでと同じようでいいのではないでしょうか。ただし、英語だけではなく、海外の人との文化的な交流の機会を提供することは義務教育の段階でも重要だと思います。いざ選択する際に、判断材料をしっかり持ち合わせていないと、フェアではないと思います。

3.国語教育をさしおいて英語での教育を行っていいのか
英語の語学力と日本語の語学力は拮抗するような関係ではないと思います。つまり、どちらか一方が高いとどちらかが犠牲になる・・というものではないと思います。言語学については知りませんが、バイリンガルの方と話しても、片一方が流暢になったからもう一方の言語を忘れるということはないと聞きます。言語は使用依存的できでしょうから、片一方の言語を「使わない」せいで忘れることはあるでしょう。ただ、日本に住んでいる限り、日本語を「使わない」という状況は考えにくいです。しっかりした日本語を日常的に使う機会があれば、日本語が稚拙なレベルになってしまうということはまずないと思います。


アジアトップレベルの英語をめざすこと自体はとてもいい取り組みだと思います。
皆が知恵を出し合って、色々な選択肢があり多様性のある社会にできるといいですね。

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