自分はモントリオールに来る直前まで、理学療法士として病院で働いていました。
また、大学の学部を卒業と同時に修士課程にも進みました。
大学学部・大学院の入学時や新人として働き始めたときには、右も左も分からないですが、次第に慣れてくると分からないことが少なってきます。この「慣れ」も大事な成長の側面かもしれませんが、「慣れ」による成長はやがて止まると思いますし、ほかの環境での応用はききにくいと思います。理学療法士や学生をしていれば、必ず壁にぶつかるので、比較的自分の未熟さ・無知には気づきやすい職業かもしれません。しかしそれでも、慣れてきた頃には「分からないことがもうあまりない」、「今の知識・技術でそこそこ俺はやっていける」と勘違いしてしまうことが自分はありました。
高校の倫理の授業でソクラテスの「無知の知」という言葉を知りました。当時の自分は、倫理の先生が少し体格の良い先生だったため、「ムチムチした先生がムチムチ言っていた」などと同級生や先輩と笑っていました。しかし今、この言葉がすごく響いてきます。先生笑ってごめんなさい。
「真の知への探求は、まず自分が無知であることを知ることから始まる」という意味の言葉ですが、スタート時点のみではなく、いつの時点でも自分が無知であることを認知できているかどうか、が真の知へ近づけるかどうかを決める大事な要因ではないかと思います。
こちらに来て、今は右も左も、上も下も前も後ろも分からない状態です。分からないことがこんなにあったのに、勘違いしていた自分を振り返ると、恥ずかしい限りです。
「慣れ」による成長にとどまらず、常に自分の無知に謙虚に向き合っていきたいものです。
だから、今分からないことだらけと毎日身に染みて感じる今の状況は、正しい道にいるんだと自分を励ましてあげて、せっせと勉強したいと思います。